2017年8月31日の記事
今は紆余曲折ののち、折り合いの良い精神科医と巡り合え、娘も私も快適に精神科受診できるようになりました。しかし、そこにたどり着くまでにひどく大きな苦労をしていました・・・。
今回は、アスペルガー的特徴の強い娘が、過去にかかったアメリカの精神科医とうまくいかなった理由をまとめていきます。
「言葉の壁」アスペルガーの娘には厚みマシマシ
英語習得が特に遅いうちのアスペ娘
娘は英語習得のスピードが著しく遅いです。原因はよくわからないのですが、可能性として考えられるのは、「極度の完璧主義」が関係していそうです。
「発音が変だったら恥ずかしい、間違ったことを言うのは耐えられない」と言って英語を話すことを極度に嫌い、学校では最低限の挨拶と、「Yes」「No」、それから「Thank you」だけで毎日乗り切っているらしい。発言を求められれば「I don't know」で逃げてしまうみたいです。
私が観察している範囲では、娘は英語で話しかけられると途端に不安定になってしまいます。そんな状態なので、日本語の通じない医療機関はどこでも、彼女にとって安心できる場ではないようです。
電話通訳による診察は波乱万丈
さて、精神科医と娘との診察ですが、電話による通訳を通して行っています。医師の言葉を電話(の向こうにいる通訳者)が娘に伝え、娘の言葉を電話(の向こうにいる通訳者)が医師に伝え。という感じで診察は進んでいきます。
この方式だと、電話通訳の方は小声を拾うことがとても難しいようで、娘はよく電話の通訳さんに「なんとおっしゃいましたか?」と確認を受けることになります。
確認された言葉が、「めんどくせー」とか「あーあ」とか、ちょっと漏らしただけのあまり意味のない言葉だったりすると、娘は「なんでそんなこともう一度言わなきゃならないの?」とかなりイライラ度が増すようです。
娘には「電話通訳が間に入るから、大きな声で簡潔に話さなきゃ」などと理解することは不可能です。精神科医と会話すること自体娘はかなり嫌なのに、どうしてそんな気を使わなきゃならないんだと怒りだしてしまいます。
価値観をすり合わせてもらえない
精神科医のひとこと目は必ず「友達できた?!」
2年半娘を担当してくれた精神科医のLさんは、診察でまず初めに必ず「新しい友達はできましたか?」と聞いてきます。その質問を受けた途端、毎回娘は「友達はいらないっていってるのがなんで分からないの!」と怒り出します。娘がいつもその質問で気分を損ねているのだから、スタートの言葉を変えてくれたらいいのになあと私は困惑気味。。。
「友人ができることは回復の兆し。成長の証。」と思っての質問なのかもしれません。にしても、発達障害専門の小児精神科医が、毎回娘を不快にする質問から始めるのって、患者と良好な人間関係を築く意志があまりないのかなあと思ってしまいます。
「セラピー」の勧めが激しい
Lさんは、毎回セラピーを受けるように私に勧めてきていました。「日本語で、グループのセラピーを」勧められたのですが、住んでいるのはアメリカ。グループセラピーどころか、娘の年齢の子を見てくれる日本語のセラピスト自体通える距離に見つからない状態でした。あちこち手を尽くしてセラピストを探しても見つからないのですが、それをLさんに伝えても、代わりに日本語のセラピストを探してくれるわけでもないのに、「とにかくセラピー受けなさいね!」と一方的に言い切られます。
英語が怖い娘には、英語の子どもたちとのグループセラピーなど始めてしまっては、さらに娘にストレスを与えるだけでプラスに働くとも思えない状態でしたし、どこでどうセラピーを受けさせていいのか、本当に困惑しました。
思春期の発達障害を見てくれる医者がどうやらとても少ない
小児と成人の狭間で
上記記事で詳しく書きましたが、とにかくアスペルガーの13歳を受け入れてくれる精神科医を探すことに苦労しました。もともと発達障害を見る医師が少ない上に、思春期を取り扱ってくれる精神科医が本当に少ないことが発覚したのです。
初診まで半年待ちから3年待ち!
一応13歳のアスペルガーを診察してくれる病院を見つけても、あるところでは予約が半年待ちと言われてしまいました。別な大きな機関では、3年待ちと言われて途方に暮れてしまいました・・・。
歯科医や家庭医ならば簡単に新しい病院を見つけられるのに、発達障害の子どもをすぐに診てくれる機関を見つけるのはとても難しかったです。
相性が悪くても気軽に転院できず
上記の理由で、精神科医のLさんとはうまくいかなかったにも関わらず、結局2年半お世話になり続けました。
まとめ
結局、アスペルガーの13歳が最初にお世話になった小児精神科医とうまくいかなかった原因は
- 言葉の壁
- 電話通訳の不自由さ
- 娘の価値観へのすり合わせのなさ
- 現実的でないセラピーのすすめ
です。
その後、とても悔しい思いをして転院を強行せざるを得ない事件が起こりました。転院過程については、先ほど張ったリンクをご覧ください。
転院するまでのいきさつは、後日書くかもしれません。